[●REC]

ヒトが繋ぐ、時代を紡ぐ

変化を続けて進化への道を探る独自の社員育成で「頼られる会社」に

株式会社パワーエッジ
代表取締役(CEO)
塩原正也
SHIOHARA_MASANARI

ハードウェアの調達、システム提案、設計・開発、運用・保守などIT業務全般に携わるシステムインテグレータ(Sler)で独自の人材育成に取り組み、事業を拡大しているパワーエッジ社。2000年に人事・給与システムに強みを持つソフトウェア開発会社として発足した。現在はベンチャー企業から一部上場の大手企業まで取引があるが、塩原正也社長は「顧客の業種は幅広く絞り切れない。得意分野を持たないことをポリシーにしている」と話す。

スペシャリストではなくゼネラリストを

パワーエッジの特色は独自の組織づくりにある。目指すのは、一つの専門スキルに特化したスペシャリストではなく、いくつもの職種を兼任できるゼネラリスト。「コミュニケーションが取れてプロジェクトリーダーもできる。かつ、コンサルティングもできてプログラム言語も複数できる人を育てないと、この業界では生きていけない」と断言する。

実際に、取締役事業部長はインフラエンジニアであり受託案件も第一線でこなしている。ほかにも、20代後半でトップエンジニアに成長し課長職であるマネージャー、30歳で部長職についている社員もいる。ちなみに塩原社長自身、30年近く前に在籍していた会社で人事・給与・就業のパッケージソフト開発に携わったトップエンジニアでもある。

年齢が若くても社歴が浅くても昇進できるのは、パワーエッジ独自の人材育成システムにある。マネージャーになるには社内の養成講座を受けることが必須。毎月第二土曜日(大阪支社は第三土曜日)に実施し、塩原社長の講義聴講や受講者による発表、ディスカッションを行う。最終回に、自分がマネージャーになったときのチームの構想をマニフェストとして発表する。それを聞いた社員がマネージャーとして適任であるかを〇╳で投票。得票が多ければ、ようやくマネージャーになる資格を得ることができる。さらに再度、社員から、そのチームに参加したいかどうかを改めて問われる。「その人が持っている技術が優れていても、人としての魅力に優れているかも含めてすごいと思われないと選ばれない。そのマネージャーの下で働きたいとまわりの社員から思われて、初めてチームができるんです」(塩原社長)

このような組織づくりを始めたのは、過去に女性社員から「なぜ私はこの人の下で働かなければならないのか」と苦情があったからだ。ならば自分の意志で上司を選べるようにと、翌年選挙制を導入。だが結果を見ると、社長の目から見て「なぜあの社員がマネージャーに選ばれるのか」と疑問が出てきたという。
そこで、スキルとチームリーダーとしての資質を同時に養える仕組みを作らないと、現場は回らないのではないかと思った。「私たちの会社の最小単位はチーム。チームリーダーの下にいろんな仕事をしている人が集まるという意味で会社と一緒です」。

成長のためのM&A

それらのチームを率いるなかで、近年注力してきたのがM&Aだ。さかのぼること5年前、17年あたりから今のままでは会社が成長できないのではないかとの思いがあった。当時は人材の売り手市場で人材がなかなか定着しなかった。加えて今ほど顧客層も厚くなかった。それらを補強するために自分たち以外の力で成長する手段がM&Aだった。

本格的にM&Aを実施するのに先立つ4年ほど前、吸収合併したのは自社でパッケージソフトを持っている小規模のシステム会社。これが奏功する。最初から既存のパッケージソフトと、強固な特定顧客を有していたことで「新卒社員を一から育てるためのツール」として人材育成と成長の契機にすることができた。その後も、パッケージと強固な顧客を有している地方のソフト会社を立て続けに傘下におさめた。

当時は一般企業の事業環境として、SaaSモデルやクラウドモデルへの移行が急務とされていた頃。塩原社長から見ると、顧客先はシステム移行期に来ていたのに使っていたソフトは10年以上前のもの。顧客からの需要が目の前にあるのに、対応できる技術者がいない状況だった。その需給のミスマッチをパワーエッジが引き受けた。傘下企業にはパワーエッジの取締役を派遣した。彼らにパワーエッジでの開発案件と並行して、経営者マインドを育成させる経験も積ませた。

コロナ終息後は地方拠点も

このコロナ禍で東京に一極集中するIT業界でも、リモートやオンライン業務が日常のものとなった。パワーエッジも傘下におさめた長野や浜松の地方企業の拠点や支社を持つことで、ニアショア開発がよりできるようになった。コロナ終息後、そして景気が上向いたときには、地方に拠点を持つことの優位性がさらに発揮できると見ている。

2025年までに、パワーエッジ単体で社員数400人(22年4月に200人)という必達目標を掲げている。その後はグループ全体で1000人、売上150億円も見据える。以前ほどのペースではないがM&Aも続けていく。

パワーエッジを設立した当初から掲げているのは「いい会社」。具体的に何を指して「いい会社」とするのか、塩原社長は明言しないが、ひとつに変化への対応を挙げる。「変化し続けることが大切。変化しなければ進化できない。むろん変化したところで失敗するかもしれない。けれども、次に同じような変化(失敗)をしなければいい。立ち止まったらそれは退化。変化を続ければ進化の道が探れる」。常に社員が自分で問題を発見し、提起し続ける能力を重視し、成長の糧としていく。

塩原正也

RECORD

株式会社パワーエッジ
代表取締役(CEO)塩原正也
1965年東京生まれ。早稲田大学法学部中退。88年、制御系ソフトハウスに就職しIT業界デビュー。91年、業務系ソフトハウスに転職。94年、人事・給与パッケージの開発に携わる。97年に有限会社ウィザード社を起業。その後2000年に同社を譲渡し、同年上流工程をターゲットとする有限会社パワーエッジ設立。02年、株式会社に組織変更。