再生可能エネルギーなどのエコプロジェクトに挑戦する「篠田」の篠田篤彦代表取締役社長は「ドイツ人の学生と渋谷のホテルのレストランで食事をしていて、彼が『東京の夜はなぜこんなに明るいのですか』と聞かれたのがきっかけでした。」と振り返る。


エネルギーの地産地消へ
100年先につながる挑戦


●土木建設で全国有数の地位
「篠田」は、篠田社長の祖父が興した鉄工所が原点で、創業110年を迎えた。現在、道路のガードレールや案内標識などの交通安全施設工事や山の法面の災害予防工事といった土木建設業で全国でも有数の地位を築いてきた。
約30年前、ヨーロッパを訪れた篠田社長は「トイレをした後、流すのではなく、チップをかけて、それを肥料にして野菜を作ったりしていた」というエコトイレを知り、その後、環境事業に取り組み始めた。
しかし、なかなか広がりを見せなかったが、10年以上粘り強くエコ関連の事業に取り組み続けた結果、木製防音壁が東京都内の幼稚園などに設置されるようになった。「新しいものには20年〜30年はかけないと」と語る。
●木製防音壁で農林水産大臣賞
さらに「風向きが変わった」というのが、2010年に木製防音壁(写真右端)の「安ら木II」がエコプロダクツ部門農林水産大臣賞を受賞したことだ。「安ら木」は、通常金属やコンクリートで造られている高速道路の防音壁を天然木の間伐材を活用しながら防音性能や耐久性も高いというものだ。温もりのある外観も好評で、道路だけでなく、保育園やコンビニエンスストアなどでも使われている。これも自ら環境先進国のドイツに出向き、その技術を取り入れて開発された。
法面の工事など土木建設事業でも常に現場に出向いて、徹夜でガードレールの施設工事を転々としながら朝までになんとか工事を終わりきったこともあり、今もその経験がすごく活きているという。そして、篠田社長は日本の森林の可能性を肌で感じてきた。そこで不要な木材を活用したバイオマス発電にも乗り出した。さらに、農業や畜産が盛んな地域で、水田のもみ殻や野菜の茎やつる、家畜の糞などでメタンガスを発酵させ、それを利用して発電する畜産バイオマスも手掛けようと考えている。


●自然エネルギーに国産の技術を
自然エネルギー事業に取り組んだ篠田社長はある問題を感じたという。「バイオマス発電の技術にしても、ほとんど欧米のもので国産の技術が使われていない」と指摘。そこで長崎総合科学大学と共同研究を行い、自然エネルギー技術の国産化にも挑戦している。「『ゼロミッション』とか言葉は踊っているけど、その技術が日本のものでビジネスに結びつくものにならない」と話す。そんな中、2019年の台風15号、19号による被害を受けた千葉県にボランティアで行った時、何日も電気が復旧しなかった状況を見て、蓄電池の重要性を痛感したという。その年末に、シンガポール南洋理工大のバナジウム蓄電池の開発の話を聞いた。「バイオマスも太陽光発電も洋上風力発電も最終的には蓄電池がカギになると思い、0泊3日の強行日程でシンガポールに行って、『日本でやるならうちがやる』といって、即契約しました」という。
常に最新の技術を世界から学んできた篠田社長は「東京の夜はなぜこんなに明るいんですか」といった学生の発言から、「確かにドイツの町って夜は暗いんですよ。それも小さな範囲の中で、バイオマスや太陽光などの自然エネルギーを循環させてうまくやっている。その学生も、ミニソーラーの研究をしていて、気づかされたんです」と語る。
「県内の木材業者がわざわざ何百キロ先にチップを持っていってバイオマス発電をしていて、それはもったいないと思い、そのすぐそばで発電をして、その地域で使う『エネルギーの地産地消』ができないか」と企画したのが「ひるがのミニエコタウンプロジェクト」だ。
プロジェクトは、岐阜県郡上市の約3800平米の地に、再生可能エネルギーの実験施設・展示場を建設するもので、レドックスフロー電池・木質バイオマスや水力発電などの篠田が取り扱うエコ関連技術だけでなく、環境に配慮した地中熱も利用。エネルギーを自活する電力自立型ハウスも建設する予定で、10月よりこのプロジェクトが始動した。
「これまで取り組んできた環境事業のいわば集大成です。まずはここで実現して、最終的には各地にあった形で広げていくコンサルティングもやっていきたい」と希望を広げる。コロナ禍で海外への出張もままならなかったため、ドイツの大学院に留学中の学生をインターンとして採用しているといい、「ワクチン接種などで渡航が自由になれば真っ先にドイツに飛んで、最新の研究を見に行きたい。環境先進国で見聞きしたことを、日本でも実現させたい。地域でマイクログリッドを利用して、再生可能エネルギーを全部まかなうようにしていきたい。」と目を輝かせる。
「ここまできたのは、土木建設事業がしっかりと収益を上げてくれたおかげです。彼らのためにも環境事業をビジネスとして成功させないといけない。きれいな言葉だけではだめなんです」と経営者としての厳しい視点を持ちながら、次の100年に向けた理想を追っている。