2009年に即戦力人材と企業をつなぐ転職サイト「ビズリーチ」を開設し、HR(ヒューマンリソース)の業界では新規参入ながら破竹の勢いで急成長を遂げている株式会社ビズリーチ。企業と求職者が直接やりとりできるプラットフォームがなかった人材業界において、人材データベースを企業に開放することで採用市場を可視化。日本のダイレクトリクルーティング市場を切り開いたパイオニア的企業である。2022年7月に急逝した2代目社長・多田洋祐氏の後を継ぎ、代表取締役に就任した酒井哲也氏は、株式会社ビズリーチのミッションである「すべての人が『自分の可能性』を信じられる社会をつくる」の実現に向け、日本の「キャリアインフラ」になることを目指している。
一人ひとりが覚悟をもった選択を実現するための、キャリアインフラに
●スポーツマンシップに育まれたチャレンジ精神
酒井代表は慶應義塾大学を卒業後、スポーツ関連のライセンスを取り扱う企業に入社。当初はマスコミ志望だったが、小学生の頃からバスケットボールに取り組んでいたことから、「好きなことを仕事にしたい」という思いが強まり方向転換に至った。入社後はスポーツショップの販売員を務め、後に本社勤務となるが、業績の悪化で会社は民事再生を余儀なくされてしまう。入社から1年半で転職を決意した酒井代表は、「君みたいに活発に意見を言う人が活躍できる会社だよ」という先輩社員のアドバイスで、新天地となる株式会社リクルートキャリアの営業職に就いた。
前職とまったく異なる業種ということもあり、当初は失敗もあったという酒井代表だったが、持ち前のチャレンジ精神で次々と顧客を開拓。大手企業の案件を成功させながら業績を重ねていく。その頃、後に籍を置く株式会社ビズリーチについては、創業間もない時期だったにもかかわらず、「ダイレクトリクルーティングという新たな概念を提唱していて、どこまで広がるか分からないが、大きな勝負をしている会社」として認識されており、興味を持っていたという。
●南壮一郎氏との出会いでビズリーチへ
酒井代表とビズリーチのファーストコンタクトは、意外な場面で訪れる。自身の部下がビズリーチの社員と結婚することになり、酒井代表は新婦側の主賓として結婚式に出席。その席で、当時社長であった南壮一郎氏と初めて顔を合わせる。その後、お互いスポーツ好きであることで意気投合し、2人は定期的に会う仲へと発展。やがて南氏からビズリーチへの誘いを受けることとなる。当初は断っていた酒井代表だったが、熱烈な誘いに少しずつ心が揺らぐように。
最初の誘いから約2年が経った2015年、ビズリーチに入社。決め手は、南氏の「仕事なんて先に何があるか分からない。だからおもしろい」という言葉だった。リクルート社で一定のキャリアアップを果たしていた酒井代表は、「人生、もう一度勝負するなら、こういう人と無邪気にやるのもいいのでは」と、新たな地平に。後にビズリーチ事業の統括本部長を務めるなど、ビズリーチ事業の拡大をけん引することになる。
●下支えでいい。3代目社長として進むべき道
入社当初は「何をやるのか、まったく決まっていなかった」という酒井代表だったが、チャレンジ精神あふれる社風が自身の考えとマッチ。2代目社長・多田洋祐氏とのコンビネーションで「攻めの採用」を推し進め、売り上げの倍増に寄与した。しかし、多田氏は2022年7月に急逝。当時、副社長を務めていた酒井代表が社長に就任することとなった。
予想外の展開でビズリーチの舵取りを託された酒井代表だったが、多田氏と見据えていた「キャリアインフラ」の確立というビジョンを実現すると、改めて目標を定め、社長業に邁進。まるで部活のように、「同じ目標に対して、それぞれが夢中になって仕事に打ち込める組織づくり」を目指し、新たなビズリーチを率いている。自身のスタンスについては「表に出るタイプではないので、みんなの下支えでいい。社内の誰よりも向上心・責任感・思考的体力にこだわり、プロフェッショナルとしての意識を保っていたい」と語り、真摯な姿勢を伺わせた。
即戦力の人材と企業のマッチングだけでなく、採用後の活躍まで支援するプロダクトを提供することで、HR業界で独自路線を切り拓いてきたビズリーチ。激化する人材獲得競争の中、多田氏のリードによる「攻めの採用=ダイレクトリクルーティング」が頭角を現した背景には、時代と合致したビジネスモデルであったことに加え、その奮闘を傍らで支え続けてきた酒井代表の功績が大きい。「日本の『キャリアインフラ』になる」という社のビジョンを推し進め、一人ひとりが覚悟をもった選択ができるように個人のキャリア形成に寄り添うことで、ビジネスパーソンに活躍する喜びが広がることは、日本の国力増加にもつながっていくことだろう。
酒井代表は、自身のキャリアアップについて「このポジションに就きたいからと気にして仕事をしたことがない」と語り、同時に「その時々を必死に生き、自己選択にこだわる」ことの積み重ねでHR業界の山を登り続けてきた。心理学者ジョン・D・クランボルツが提唱した計画的偶発性理論(到達点や目標を定めず、予想外な出来事を重ねることでキャリアを歩むという考え方)に大きな影響を受けたという人生哲学には、今後の社会で生き残るための大いなるヒントが秘められている。