[●REC]

ヒトが繋ぐ、時代を紡ぐ

地元で仕事を営み、前橋市の伝統と未来を守る

株式会社ドリームエポックカンパニー
代表取締役
大島一光
OSHIMA_KAZUMITSU

会食やパーティーなどのイベント事で真心と品位あるプロのおもてなしを行う「レセプタント」。その道は奥深く、経験と高い技術が必要とされる。彼らを取りまとめてきた企業の一つが、前橋市にある株式会社ドリームエポックカンパニーだ。同社の大島一光代表は、代々続いてきたこの伝統ある仕事を守り、さらに女性が多いこの仕事を通して、地方における女性の地位向上を願っている。生まれた街で仕事を続け、街の未来の繁栄を願う取り組みに迫る。

コロナ禍を経て、復活に向けた現在地

コロナ禍の直撃を受けたイベント業界。前橋市で30年にわたりレセプタントの派遣をはじめとするイベント業を営んできた株式会社ドリームエポックカンパニーも厳しい状況にさらされた。

「2年前はこの事業所を閉めないといけないと思ったくらい大変でした。会社の規模も縮小して、何とか耐え凌いでの今という感じです」。コロナ禍が落ちついて、全てが元通りになるかと言えばそういうわけでもないらしい。「依頼自体は回復して、殺到している状況です。この数もコロナになる前の弊社の規模だったら対応できたのですが……。規模を縮小してしまった今の状態の中ではどうしても全ては受けきれないところがあり、お客様には本当に申し訳ないと思っています。何とかコロナ禍前の状態に戻れるように努めているところです。

創業30年の歴史を持つ同社は、大島代表の母親が創業した。「創業したのは私が中学3年生のときでした。当時は個人事業だったので、自宅の一室でやっているような小さな会社で、レセプタントの数も5,6人しかいませんでした。私が京都の大学を卒業して地元に戻ってきて、22歳ぐらいのときにアルバイトとしてこの仕事に携わるようになったんです。昼間は違う仕事をしていたので、夜間に手伝っていましたね」。

会社がどんどん成長するにつれて、大島代表にも転機が訪れる。「だんだん夜間の仕事が長くなってきて、昼間の仕事に支障が出始めてきたんです。母親も体が弱かったので、6年前に私が会社を継ぎました。そのときにはスタッフは約200名在籍するようになっていました」。代替わりし、地域に根差した企業として今日まで事業を続けてきた。

未来のために、見直すべき慣習

そもそもレセプタントという言葉にあまりなじみがない人も、「コンパニオン」という名称は、聞いたことがあるかもしれない。パーティーや宴会での接遇サービスを行う女性に使われてきたが、風俗営業サービス業者にも同じ名称が使用されて、一般的に混同して認識されることもあったという。そこで日本バンケット事業協同組合は、イメージ刷新と差別化のために名称を公募し、『レセプションとアテンダントの組合せ』による造語「レセプタント」という言葉を登録商標としたという経緯がある。

「取引先の企業の方々にはレセプタントの名称や私たちの仕事について知っていただいていますが、一般的にはまだまだ認知度が低いんです。はやく根付いてほしいとずっと願っています」。

レセプタントとして企業に在籍して仕事をすると社会保険の対象にもなる。女性がメインとなるこの業界の中で、大島代表はスタッフの生活も守り、女性の地位を向上させたいと願っている。「変化しつつはありますが、今の世の中はまだどうしても男性の下に女性が置かれやすい仕組みが残っていて、『女だから』という扱い方をされてしまいがちなんです。とくに地方だと、余計にそれを感じますね。まだ昭和のような風潮が残っていると思うところもあります。日本特有の詫び寂びや伝統は伝えていく必要はありますけれど、その中でも変えていかなければいけない部分は絶対あると感じています」。

子どもたちのために町を楽しく、面白く

前橋市で生まれ育った大島代表。多感な時期を街の賑わいの中で過ごしてきた。「前橋市内から、中心部にある商店街をめがけて人がやってきたんです。商店街はどこも人と自転車でいっぱいでした」。しかし年が経過するにつれてシャッターを閉める店が増加し、かつての賑わいが消えていった。そんな状況に住民は危機感を持ち、行動をスタートしている。

2011年に開局したコミュニティラジオ局「まえばしCITYエフエム」は、大島さんら前橋の街の人たちが、地域の情報やいざというときは災害情報を伝えるラジオ局を作ろうと力を合わせて設立された。前橋市の発信力を高め、市内に無料WIFIをくまなく通していくための取り組みも続けているという。

さらに前橋市内の企業や各商店で子供たちが職業体験できる「スマイルキッズショッパーズ」が前橋青年会議所主催で10年前から開催されてきた。

「『子どもゆめ基金』さんから補助を頂いて、他は参加者の自前で運営しています。大人は皆ボランティアで参加し、各大学や専門学校ではこの活動に参加したら学生が単位を取得できるという連携をしています。この2,3年はコロナ禍で開催できなかったのですが、去年はやっと小規模ですが開催することができました」。地域の魅力を子どもたち、さらには大人たちにも改めて発見してほしいと願っている。

「前橋市を地元の皆でもう一度盛り上げようとしているんです。子供たちが成長して、この街を出て行ったとしても、『前橋市ってやっぱり住みやすいよね』と言って帰ってきてくれるためには、前橋市が成長していかなければなりません。私一人では力及ばないかもしれませんが、皆さんと力を合わせて、頑張っていきたいと思います」。

全国的に地方から都心への人口流入が続いているが、地方の過疎化を食い止めるためにはここで生きていきたいと思う魅力の発掘、そして生活を維持できる雇用等の環境整備が求められている。それは行政だけの仕事ではなく、その街で暮らす人たちの生活の営みの中でもできると、大島代表の話を聞いて感じた。

「今私が暮らしている街は、私の祖父らの世代が中心になって作り上げてきました。今、10代、20代の人たちが数十年後に私と同じくらいの年齢になったときも、居心地の良い、生活して楽しい街にしていきたいんです」。そう言う大島代表は、未来を変えるための取り組みは小さなことからスタートできるという。「例えば地域のお店に自分が一人いるだけでも、私がそこに人を呼んできたら2人になるし、そうやって人が集まってもし10人がお店でお金を落とせば、これは活気に繋がっていくと思います。僕と同年代や少し上の人たちは皆危機感を覚えて、さまざまな行動をしています」。

かつての賑わいを目にしていたからこそ、先代たちが作り、繋いできた故郷の素晴らしさを、未来の大人にも残さないといけないと自覚している。そんな大島さんら前橋市の人たちによるムーブメントに今後も注目していきたい。

大島一光

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株式会社ドリームエポックカンパニー
代表取締役大島一光
1998年京都短期大学(現:成美大学)卒業後、アパレル関連の仕事で経験を積んだ後、2003年、母の家業を助けるために株式会社ドリームエポックカンパニーに入社。前橋市の地域活性化のための活動にも熱心に取り組んでいる。