「旅先で買ったお土産が、競合商品と似ていた」――そんな経験をした人は少なくないであろう。観光土産品の企画や卸売を展開する株式会社永井園は、「イチゴカレー」や「餃子サイダー」といったユニークな商品を開発し、発売から10年以上経た今もロングセラーとして支持されている。「たとえまずくても、感動を与えることが大事である」永井孝資代表取締役はそう語る。1956年創業の老舗企業であるが、一時は銀行から融資を断られるほどの倒産危機に直面した。しかし経営を立て直した現在は、2045年までに売上高100億円を目標に掲げている。今回は、いかにして倒産危機を乗り越え再起を果たしたのか、永井氏に話を聞いた。

倒産危機を超え年商100億を目指す企業の価値観

●倒産危機のときこそ大切にした父の教え
永井氏が専務取締役に就任した2013年、会社はまさに倒産の危機に陥っていた。銀行からの融資をすべて止められ、経営再建を依頼したコンサルタントからも「改善の水準に達するまでに10年はかかる」と厳しい現実を突きつけられた。
着任後の永井氏が全力で取り組んだのは、徹底した会社の立て直しである。当時を振り返り「あの時は無我夢中で、やれることはすべてやりました。あまりに目まぐるしく、具体的にどの施策に着手したのかほとんど覚えていないのです」と語る。実際、当時の永井氏の休みは年間30~40日程度にとどまり、1日の労働時間も14~15時間に及ぶ過酷な状況であったという。
「ただ、当時の社長だった父からの『当たり前のことを当たり前にやり続ける』という教えだけは、常に大切にしていました。この姿勢を貫いたからこそ、危機を乗り越えられたのだと思います」と強調する。その結果、10年かかるとされた再建を、わずか7年で成し遂げることができた。
●商品・事業開発は「まずはやってみよう」の精神
永井園の主力商品「イチゴカレー」や「餃子サイダー」は、いずれも永井氏が専務取締役時代に商品化したものである。さらに、永井氏の代表取締役就任後の2024年には、ホルモン焼肉屋「永」を開業している。このように柔軟な発想で多角的に事業を展開できるのは、永井氏のリーダーシップによるものであることは明らかだ。
商品や事業開発について永井氏は「思いつきと直感です。まずはやってみよう、売れなければやめればいいというスタンスで取り組んでいます」と語る。「たとえまずい物であっても、買ってくれた方に感動を与えられればいい」という方針が、ユニークなアイデアを商品化できる背景となっている。
10年以上のロングセラーとなった「イチゴカレー」の誕生秘話も明かしてくれた。「最初にアイデアを出したのは社員です。他の社員から猛反対を受けましたが、私は面白そうだと思い、半ば反対を押し切る形で商品化しました。このヒットのおかげで、今ではユニークなアイデアも受け入れられる土壌ができたと感じます」と振り返る。
実際、イチゴカレーは永井氏の舌には合わないが、それでも売れ続けるのは、人々に感動を与えている証拠であろう。
●売上高100億円を目指し、自社工場設立と自社ブランド確立に挑む
永井氏の現在の目標は、2045年までに売上高100億円を達成することである。その実現に向け、自社工場の設立と自社ブランドの確立を掲げている。
自社工場については、2025年9月時点で土地の購入が完了し、導入機械もほぼ決まっているため、2026年2月には稼働予定である。永井氏は「長年にわたり卸問屋として事業を展開してきた当社は、売る力はあるものの、製造する力はありません。卸売業は利益に限界があるため、売上拡大にも限界があります。製造を自社で行えるようにすることで、利益率を高められるのです。この構想は先代社長の時代からありました」と語る。
また、自社ブランドの確立は、より自由な発想で商品化を行い、顧客により感動を届けるための取り組みである。「自社ブランドを持つことも以前からの構想です。当社は『心が動くものを作る』をコンセプトに商品を開発しています。おいしいものが感動を生むとは限りません」と永井氏は説明する。
「お客さんの心を動かすのは味だけではない」というイチゴカレーの成功体験が、永井園のチャレンジ精神を支えている。
永井園の売上高は、2025年1月期の時点で20億円である。100億円までの道のりはまだ遠いと永井氏は話す。それでも、先代社長である父から教わった「当たり前のことを当たり前に取り組むこと」を胸に、愚直に売上高を伸ばす努力を続けている。永井氏は「父から会社を継いで代表となりましたが、正直なところ、最後まで認めてもらえたという実感はありませんでした。もし生きていたら、今でも代表は父だったかもしれません。会社を大きくしたいという思いも、自社工場の設立や自社ブランドの確立も、すべて父の構想です。それらを実現することで、『やり遂げれば父から認めてもらえるだろう』という気持ちもあります」と父親への思いも語った。
幼少期の父親の記憶はほとんどが仕事をしている姿だったという。子どものころから、そして入社後も父が一貫して示した信念があったからこそ、倒産寸前の会社の立て直しに成功し、売上高100億円という高い目標も掲げられるようになった。今日も永井氏は「心が動くもの」を作るために、当たり前のことに真摯に向き合い続けている。
