[●REC]

ヒトが繋ぐ、時代を紡ぐ

新しい刺繍製品の開発で200年企業を目指す

株式会社笠盛
代表取締役会長
笠原康利
KASAHARA_YASUTOSHI

会社の寿命は、約30年といわれているように、数十年に渡り経営を続けていくことは難しい。成長期に高い売上実績を誇っていた製品が売れなくなり、廃業を余儀なくされるケースは少なくない。株式会社笠盛で代表取締役会長を務めている笠原氏は、創業145年を誇る刺繍会社で、約40年に渡り会社を経営している。その40年の中では経営危機に陥るケースもあったが、新製品の開発と販売拡大により、その危機を乗り越えてきた。「同じ製品がずっと売れ続けることはありません。伝統ある会社は挑戦し続ける会社なのです」と語る笠原氏に、たどってきた軌跡、注力している事業、今後の展望について聞いた。

刺繍事業の始まり

笠原氏が家業の株式会社笠盛に入社したのは1973年10月。当時、笠盛の3代目社長を務めていた父親に「帰ってきて欲しい」と言われたのがきっかけだった。世はオイルショック真っ只中。笠盛にも不況の波が訪れ、苦戦を強いられている時期だったという。「今まで取り扱っていた機織り製品が売れなくなっていたので、新しい事業を始めないといけない時期でした。そこで、刺繍の新規販売に取り組むのですが、私は未経験です。何も分からないまま、アパレルメーカーや問屋に飛び込み営業を繰り返しました」と振り返る。

笠原氏が飛び込み営業を続けていると、その熱意を買われ、徐々に得意先を紹介されたり、情報を教えてもらえたりするようになった。笠原氏は一心不乱に仕事に励む。お客さんの期待に応えるため、夜中3時に車を走らせることもあったという。そして、徐々に刺繍の事業が軌道に乗り、会社は持ち直していった。

その後、笠原氏は、1984年に4代目の社長に就任。刺繍を中心とした事業で業績を伸ばし、2001年にはインドネシア進出に挑戦する。しかし、徐々に中国などの海外メーカーとの価格競争に勝てなくなり、2005年にインドネシアからの撤退を余儀なくされた。

海外工場の撤退と000(トリプルオゥ)の開発

笠原氏がインドネシアからの撤退を決め、新しい事業を模索していた2005年。会社の経営は非常に厳しく、資金がショート寸前だった。しかし、「会社を良くするのも悪くするのも人です」と熱く語る笠原氏は、攻めの経営に出た。ロンドンで刺繍を学び、デザイナーとして活躍していた片倉洋一氏を採用したのだ。

2007年、笠原氏は、2009年にパリで開催される世界最大のテキスタイル展示会「modamont」への出展を目標に掲げ、新事業の責任者を入社したばかりの片倉氏に任せた。

そして、チャンスは想定していたよりも早く回ってきた。2007年の「modamont」に出展が認められたのだ。「当製品の開発期間は約5か月。パリに出発する数時間前まで製品開発に取り組んでいました」と笠原氏は当時を振り返る。

その後、2年をかけて製品化にたどり着き、2010年に刺繍のアクセサリーブランド000(トリプルオゥ)を立ち上げた。現在、000(トリプルオゥ)は主力製品となり、売上の40%の割合を占める。「いずれはニューヨークに進出したい」と笠原氏は意気込む。

200年企業へ向けて新製品開発を加速

000(トリプルオー)の事業が立ち上がって約10年。笠原氏は2019年に社長を退任し、後任として創業家出身ではない社員の櫻井氏を社長に抜擢した。そこには笠原氏の社長を多く輩出したいという思いがある。「感受性があって、動ける人材に事業や会社をやってもらいたい」と笠原氏は語る。

また、「若い人に事業を任せる」という方針は、株式会社笠盛に浸透しており、新しい時代に向けての種まきが進んでいる。新型コロナウイルス禍をきっかけに、マスク需要が上がったことを受け、刺繍でできたシルクのマスク「FACEDRESS(フェイスドレス) 」を開発。その責任者も30代の社員に任せた。その他にも、オーダーメイドのサウナスーツなどの開発を進めている。

「どんどん失敗しないといい製品は産まれません。私もインドネシア進出の失敗など、大きな失敗を何度も経験しました。でも、失敗から学べれば、いつか成功につながります。そのためには、アイディアを形にしていく必要があります」と笠原氏はにこやかに語る。200年企業に向けて、笠原氏の目は新しい未来をじっと見据えている。

会社を存続させていくには、組織の新陳代謝が必要になる。そのためには、新しい考え方を取り入れ、挑戦し続けなければならない。また、挑戦し続けるには、会社の風土も重要になる。笠盛では、自ら問題や課題を見つけ、その解決に向かっていく社員とそれらを受け入れる風土が必要と考え、「笠盛人の日」という勉強会を1か月に一度実施している。この勉強会は、自律した「笠盛人」の育成を目的として、社員全員が参加する研修会になっている。一学一践がテーマに掲げられ、社員同士が実施事項を企画し、報告し合うことで、さまざまなアイディアが生み出されているのが特徴だ。

最後に、笠原氏は目標とする会社像について語ってくれた。「お客様に幸せになっていただくために会社はありますが、社員・取引先・仕入先が幸せになれることも重要です。みんなの幸せは自分の幸せにつながっていきます。自己実現しながら、社会全体が幸せになれる会社を作っていきたいですね」。笠盛では、新規事業が次々に起こっている。自律した「笠盛人」たちが社会を幸せにしてくれる日はきっと遠くないだろう。

笠原康利

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株式会社笠盛
代表取締役会長笠原康利
群馬県桐生市生まれ。中央大学卒業後、日立ソフトウェアエンジニアリング株式会社を経て、株式会社笠盛に入社。1984年4代目社長に就任。1993年インドネシアに進出するも、2005年に撤退。その後、刺繍のアクセサリーである000(トリプルオゥ)を開発し、2007年パリの展示会「modamont」に出展。2010年に自社ブランド000(トリプルオゥ)を立ち上げ、2014年フランスの有名ブランドに笠盛レースが使われる。2020年、社内に000のショップを開設。