[●REC]

ヒトが繋ぐ、時代を紡ぐ

妊娠・出産だけでなく、女性のトータルライフを医療で支える

藤東クリニック
院長
藤東淳也
FUJITO_ATSUYA

目指すのは気楽に来院できる存在

大きなガラスによって採光面を広くした外壁はゆるやかな弧を描き、まるで高級ホテルのようなたたずまいを見せる。「地域の人達を対象にしているので、明るくて開放的な病院にしたいと思った」と、話すのは院長の藤東氏。しかし、決して富裕層向けではなく、目指しているのは親しみやすい存在だ。藤東クリニックは1928年に藤東氏の祖父が開院した3代続く医院。父から継いだのきっかけに、広島市のベッドタウンとして知られる安芸郡府中町に移転して開業した。

開放的で親しみやすいとは、つまり気楽に来院できることを指す。「待合室も外から見えるようにして、心理的ハードルを感じないようにしている。例えば、普段から生理不順や生理痛などで悩まれている女性は多い。そんなときに受診してもらえると、痛みの理由を聞くだけでも気持ちが落ち着くことがある。定期的に来ると自分の体のことを理解することができ、その中で子宮頸がん検診の受診率も上げることができるかもしれない」と、気軽に訪れることのメリットを挙げた。

女性に輝いてほしいという願い

以前から日本での子宮頸がん検診の受診率が低いことは問題視されている。30~40代で子宮頸がんになる場合、20代からがんの前段階である前癌病変に罹患していることが多い。そのために、20歳から子宮頸がん検診に対して地方自治体からの補助制度があり、前癌病変が判明しても比較的簡単な対処で子宮頸がんを予防できる。「ただでさえ産婦人科に行くことは抵抗があるもの。だから病院には気軽に行けるほうがいい」と、目指すべき医療のあり方を語る。

その根底にあるのは、時代の変化によって、家庭に加え職場でも重責を担うことが多くなった女性に輝いてほしいという思いだ。実際に子宮筋腫や子宮内膜症、子宮頸がんなどの病気は、人生の中でも大切な30~40代に発症することが多い。だから同医院が最も力を入れているのは一人ひとりに向き合った診療だという。「産婦人科ではなく産科と婦人科とに分け、診察室を完全個室にしているのもそのため。妊娠や出産だけでなく、ライフステージに応じたさまざまな病気と向き合うことで女性のトータルライフを応援することを重視している」と、女性のための医院であることをアピールした。

医師が働きやすい環境へ改善

現在、分娩施設の減少が社会問題となっており、その背景にあるのは産科医をとりまく過酷な労働環境だという。「10年ほど前までは府中町の分娩施設は4軒ほどあったが、今は当院だけ。昔は時間を犠牲にして働いていたが、今の時代にそんな働き方は通用しない」と、これまでを振り返る。

同医院では5年前は2名だった常勤医師を5名に増やし、環境の改善に努めてきた。「5名のうち3名が女性で、小さなお子さんがいる医師もいる。家庭では予期しないことが起こるので、フレキシブルな体制を取ることが大事。みんなが子育てをはじめとした家庭のことと医師の仕事を両立できる環境をつくっていきたい。この仕事に魅力を感じている人は多く、最近では女性医師の数や割合も増えている」と、現状を話してくれた。

開院時から助産外来を導入している点も同医院の特徴だろう。妊娠期間中、基本の妊婦健診は医師が行う一方で、助産師も妊婦健診や保健指導を外来で担当。その狙いは、妊婦が医師には言いにくいことを助産師が受け入れ、妊婦の不安を取りに除くことだ。そして、助産師は医師と綿密に連携し、医院と患者との信頼関係を築いていく。「医師一人では対応できないことは多い。うちには多数の看護師や助産師がいるので、スタッフ同士のコミュニケーションも重視し、患者さんの思いを汲み取れるように心掛けている」と、全体で取り組むことが重要だと説く。

産後に気分が落ち込む女性は多いが、その辛さを話すだけで気分が楽になるケースは多々あるという。そのためには「まず来院してもらわなければ始まらない。実際に昔と比べると産後に来院してもらう患者さんは増えている。話を聞くことが一番大切で、そのチャンスをなるべくなくさないようにしたい」と、藤東氏のオープンマインドが多くの女性の人生をサポートしている。

藤東淳也

RECORD

藤東クリニック
院長藤東淳也
1968年広島県生まれ。東京医科大学卒卒業後、東京医科大学病院などを経て、2002年アメリカ・カンザス大学へ留学。帰国後、県立広島病院の勤務などを経て、2010年に家業を継ぎ、現在の地に移転する形で藤東クリニックを開業。産婦人科医として、生涯の中で変化する女性のライフステージに合わせ、一人ひとりを大切にする診療を心掛けている。