[●REC]

ヒトが繋ぐ、時代を紡ぐ

住民の連帯感を高める一戸建て開発で東南アジアに貢献

創健舎工房株式会社
代表取締役
山本浩之
YAMAMOTO_HIROYUKI

タイ・バンコクにおける一戸建て住宅の開発・分譲事業に胸を焦がし、さらなる供給数の増加を目指して資金調達に奔走している山本浩之氏。不動産投資に特化した売買専門コンサルタント事業を手がける創健舎工房株式会社の代表取締役が、なぜ海外進出を──? 思いを紐解いてみると、「集まった人が新しい街やコミュニティを形成し、和気あいあいと暮らす様子を見届けるのが好きだった」と語る原体験に行き着く。よい街づくりには、現地におけるデベロッパーとの協力関係が不可欠。取引先の本質を見抜く慧眼の一端や、ビジネス相手として信頼されるために山本氏が大切にしていることを聞いた。

世界へ飛び出す原点の幼少期~学生時代

いつかは自分で会社を興したいという想いが、子供の頃からあったという山本氏。中学生のときに読んだ、五木寛之『青年は荒野をめざす』の影響で、子供の頃から「いつか海外で仕事をする」と決めていたという。大学時代、1年間バックパッカーとして世界25カ国を歴訪し、世界のスピード感に惹かれ、将来独立後のステージとして東南アジアにマーケットを求めた。大学卒業後は、東京の一部上場企業で首都圏の新築分譲マンション営業に携わった。

そんな中、父の会社が、債務超過に陥っている──。新卒入社した不動産会社を5年ほどで退職し、山本氏は1995年に故郷へ帰って父の会社に入社した。もともと独立志向があった山本氏にとって、意に反するキャリア。それでも「絶対に父の会社を倒産させるわけにいかない」と踏ん張った。メインバンクから指導を受け、2002年には山本氏がグループ全体の代表取締役に就任する。しかし、当時は小泉政権における銀行の不良債権処理が絶頂を迎えた時代。会社は破綻懸念先になり、倒産は免れたものの債権放棄を受けた。山本氏はその責任を取って辞任、退職することに。

街やコミュニティを活性化させる住宅開発とは

もともと、タイ在住の日本人パートナーから、引き合いを受けて訪れたモデルルームだった。見学中に偶然、このプロジェクトを手がけた現地のデベロッパーの経営層と出会うという幸運が重なり、山本氏が率いる企業とのタイアップを打診。先方が質の高い「ジャパンプレミアム」の住宅開発にありがたみを感じてくれた点が決め手となり、複数の企業が出資して新会社を立ち上げるJV(企業共同体:Joint Venture)が2019年に動き出した。50〜100戸単位で開発を進め、2024年現在、5プロジェクト目に突入している。

タイにおける住環境の特徴は、ゲーテッドシティ(ゲーテッドコミュニティと呼ぶ例も)。ゲート(門)を設け、周りを塀で取り囲み、住民以外の敷地内への出入りを制限することで防犯性を向上させる街づくりの手法だ。プールやジム、コワーキングスペースといった共用部を充実させることで住人同士の連帯感を高め、不動産の資産価値を上げるメリットもある。自身が手がけたマンションの住人の強い結びつきを目の当たりにしていた山本氏は、「我々の住宅開発やプロデュースが、街やコミュニティづくりにつながるのですね」と思いを新たにした。

タイ・バンコクにおける一戸建ての開発に可能性を感じた

そこで山本氏は、不動産の売買仲介を行う個人事業をスタートさせる。やむなくの起業が、奇しくも「会社を興したい」という自身の夢をかなえた。事業は次第に、これまでの知見を生かした不動産投資の売買専門コンサルタントへシフトしていく。

顧客である投資家は、いわばプロジェクトの最高経営責任者。よりよい物件運用のためには賃貸管理、建物管理、設備保全、清掃、内装、弁護士をはじめとする法律のプロなど、あらゆる職種を集めてチーム化することが肝要だった。山本氏は、投資家の「参謀」としてチームづくりに貢献する。思えば、この時に培った取引先を見極める慧眼が、事業を一緒に進めるパートナー選びに役立っているのだろう。

コンサルタント業に従事しながらも、元バックパッカーである山本氏の瞳は海外に向いていた。その思いは「物件開発を行い、現地の方が購入して実際に住んでいただける家を供給したい」という目標に変わる。人脈を広げ、土地勘を磨き、ビジネスチャンスをうかがう中で選んだ地は、親日国であるタイ。量産型ではなく、プロジェクト毎に特徴があって洗練されたデザインの住宅が並ぶバンコクのモデルルームに目を奪われたのだ。

コミュニティを活性化させる、よりよい住環境づくりに何が必要か。そう尋ねると、山本氏は「対話を通じて現地のデベロッパーと信頼関係を育み、同じビジョンを共有することでしょうか」と答えた。山本氏がタッグを組んでいるタイのデベロッパーは、30代の若手が率いる新興のファミリー企業。「大手にないスピーディーな決断力と小回りの利く柔軟性に加えて、他国から存分に学ぼうという姿勢がマーケットの半歩先を行く高いデザイン性を実現しているんじゃないかな」と評価した。

これも数多くの人に出会い、丁寧に対話を重ねた結果の収穫といえる。「事業は何をするかより、”誰とチームを組むか“が大事」と語る山本氏。取引先を見極めるだけでなく、ビジネスの相手から信頼を得ようと「格好つけず正直に向き合う」「相手の価値観を理解し尊重する」ことをモットーにしている。不動産投資コンサルタントで培った慧眼と信念を武器に、山本氏は今後フィリピンやマレーシアにも進出予定だ。「私の知見と反省点を余すことなく伝え、優れた家を供給することで、東南アジア全体における住環境の発展に貢献できたらいいですね」

山本浩之

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創健舎工房株式会社
代表取締役山本浩之
1966年生まれ、福岡県出身。法政大学経済学部の在学中に1年ほど休学し、バックパッカーとして25ヵ国を訪れる。卒業後の1990年、日榮不動産株式会社(現:ナイス株式会社)で首都圏における新築分譲マンションの営業に携わる。1995年、父が創業オーナーを務める福岡のアーサーホーム株式会社へ。2002年、新築マンションデベロッパーと管理会社を中心とするアーサーグループ3社の代表取締役に就任。2004年、グループの中核会社が破綻懸念先となり、銀行から債権放棄を受け辞職。同年、「創健舎企画開発」という屋号で不動産コンサルタント業をスタートさせる。2005年、代表取締役として創健舎工房株式会社を設立。2012年、海外の不動産事業に乗り出す。2022年EARTHER HOME 合同会社設立、代表社員就任。